今から22年前、私は70リットルのバックパックを背負い、

 

 

 

 

真夜中の静かなチャンギ国際空港に立っていた。

 

 

 

 

生まれて初めての東南アジアのシンガポール。

 

 

 

 

国の政治体制も民族構成や成り立ちなど、

 

 

 

 

基礎的な国の知識も知らずに来てしまった。

 

 

 

 

というのも1ヶ月ほど前まで、私はアメリカのアリゾナ州ツーソンという町に滞在していた。

 

 

 

 

2ヶ月ほどかけて北米の西海岸を旅していたのだが、

 

 

 

 

季節は11月に入り、気温は日に日に寒くなってくるのと、

 

 

 

 

何より全ての物価が高すぎた。

 

 

 

 

どんなに節約しても140ドルはかかってしまっていた。

 

 

 

しかも広大な大陸を安価に横断するには長距離バスしかなく、

 

 

 

 

非常に効率が悪く、特にバスターミナルでの治安が良くなかった。

 

 

 

 

アメリカという国は広大すぎて、おそらく日本の感覚だと想像もできないだろう。

 

 

 

 

例えてゆうなら、隣の家まで車で20分かけて回覧板を持ってくぐらいだ。

 

 

 

 

歩いてどこでも行ける日本社会とは大違いだった。

 

 

 

 

全てを車で移動するように国が作られているため、車すら持てない貧困層が長距離バスを使用していた。

 

 

 

 

そのため色んな人からタバコをくれくれ言われるし、

 

 

 

 

喧嘩や言い合いがしょっちゅう起こっていて緊張の毎日だった。

 

 

 

 

そんな事を思っていたところ、ホステルで出会うバックパッカーたちからしきりと

 

 

 

 

「この国は全てにおいて金がかかる。金が全てだ。それに比べてタイはパラダイスだ!13ドルでハッピーに過ごせるんだぞ」

 

 

 

 

なんだって?今より10分の1以下で過ごせる!?本当か?

 

 

 

 

そんな話を聞いたら居ても立っても居られなくなり、

 

 

 

 

せっかく行くんだったら陸路でタイに行ってみようと、

 

 

 

 

インドシナ半島先端にあるシンガポールから入国したという訳だった。

 

 

 

 

そんな軽い気持ちでシンガポールに降りたったのだが、

 

 

 

 

とにかく見知らぬ土地に来てから、夜中に外を動き回るのはデンジャラスだ。

 

 

 

 

どこの国でも国際空港の中ほど安全なところはない。

 

 

 

 

私はプラスチックで出来たベンチを見つけ、体を横たえ仮眠をとることにした。

 

 

 

暫くして身体の痛みで目を覚ますと時刻は朝5時を過ぎていた。

 

 

 

 

すでに外は明るく、目の前の大きな窓からは大きなヤシの木が青々と茂っていた。

 

 

 

 

この明るさなら安全だろう。

 

 

 

 

まずは泊まるところを決めようと、

 

 

 

 

外に出ると12月なのにムアっとした湿度の高い空気が全身を覆った。

 

 

 

 

「冬なのにこの暑さ!これが南国かぁ!」これが初めての東南アジアの感想であった。

 

 

 

 

私はひとまず空港の係員に聞いて、

 

 

 

 

ダウンタウンにあるYMCAへシャトルバスで行ってみることにした。

 

 

 

 

ここシンガポールは東南アジアの中でも1番物価の高い国らしく、

 

 

 

 

日本円100円のものが80円ぐらいの感覚のようであった。

 

 

 

 

お隣のマレーシアは60円、その北のタイは30円といったところだ。

 

 

 

 

自分の懐ぐあいを考えると、やはりシンガポールに長居はできない。

 

 

 

 

早めに出国したほうがいいだろう。

 

 

 

 

そんな事を考えながら30分ぐらいバスから流れる景色を見ていると、

 

 

 

 

近代化された街並みは、ほとんど日本と変わらないことに気づいた。

 

 

 

 

何だか想像していた東南アジアと違うなぁと私は考え、

 

 

 

 

空港で手に入れたシンガポールの地図を眺めてみた。

 

 

 

 

するとフェリーでマレーシアの「ティオマン島」という島に行けそうだ。

 

 

 

 

そうだ島に行ってみよう!私は乗ったバスを途中で降りて、

 

 

 

 

近くの高架電車に乗り換え、フェリー乗り場に近い「タナメラ駅」に向かっていった。

 

 

 

 

フェリー乗り場といっても、向かう先は別の国である。

 

 

 

 

もちろんイミグレーションがあり「お前は何をしにきて、どこに泊まるのか?」を聞かれる。

 

 

 

 

とりあえず泊まる場所を先に決めねばならない。

 

 

 

 

私はフェリーターミナルのチケット売り場で「ティオマン島」と告げると、

 

 

 

 

 

「今はノーだ。波が高い季節はここから出ていない。メルシンへ行け」と言われる。

 

 

 

 

では別の島はあるのかと聞くと、

 

 

 

 

インドネシアの「ビンタン島」なら出ているとのこと。

 

 

 

 

 

それならと宿泊とフェリー代がジョイントされた一番安いチケットを購入した。

 

 

 

 

それでも16,000円というものであった。

 

 

 

 

高っ!と思ったのだが、ここまで来たなら行ってみようと待合所で待つ事にした。

 

 

 

 

待合室には小さい子供のいる白人家族が2組と、

 

 

 

 

中華系の若いカップルが数組おり、私のようなバックパッカーは1人もいなかった。

 

 

 

 

その時私はさほど気にも止めず、人生の初フェリーに乗り込んだのであった。

 

 

 

 

客室に入ると腹に響くエンジン音にキラキラと強い陽を返す波がすごく旅情を誘った。

 

 

 

 

10人ぐらい座れる横長の座席にひとり静かに座り待つ事15分。

 

 

 

 

ドドドドと動き出しすと予想以上のスピードでフェリーは走り出していった。

 

 

 

 

実はあとで知ったのだが、

 

 

 

 

ビンタン島とはシンガポールの若いカップルが記念日に泊まりにきたり、

 

 

 

 

ハイクラスの家族が長期休暇で訪れる場所であった。

 

 

 

 

私のような金もなく連れもいない、安宿一人旅の男が行くところではなかったのだ。

 

 

 

 

インドネシアなら安いだろうと早とちりした私が悪いのだ。

 

 

 

 

そんな事も知らず、ビンタン島に着いてバスで降りたところは、

 

 

 

 

プライベートビーチにレストランとバンガローが併設されたリゾーツであった。

 

 

 

 

「ほー、これはこれは」とビーチを眺めながらチェックインをすると、

 

 

 

 

同年代のベルボーイがやって来て、私のたった1つのバックパックを恭しく運んでいった。

 

 

 

 

おそらく見た感じからして現地の人のようだが、

 

 

 

 

驚いたのは流暢な英語を話す事であった。

 

 

 

 

確かにここで働くには英語ができないとダメだろうが、

 

 

 

 

日本人のようにNOVAで高い金払っても身につかないのに、

 

 

 

 

彼はペラペラと自分の意思を伝えている事に驚いてしまった。

 

 

 

 

ひと通り施設と室内の説明が終わると、

 

 

 

 

にこやかにドアの前に立ったまま私を見つめる彼がいる。

 

 

 

 

なんだ?どーした?と思っていたのだが、

 

 

 

 

即座に「あっ!チップか!」と私は初めて気づいた。

 

 

 

 

確かそんな制度が世界にあると聞いたのを思い出し、

 

 

 

 

財布から500円ほどの通貨を渡すと

 

 

 

 

Have a niceday!」と微笑み彼は出て行った。

 

 

 

 

世の中知らない事だらけとはこの事だろう。

 

 

 

 

私は人生初のチップとやらを渡すと、

 

 

 

 

とりあえずシャワーを浴びて先ほどのレストランへ向かっていった。

 

 

 

 

レストラン前のビーチには宿泊者専用のビーチベットがパラソルの下に綺麗に並んでいた。

 

 

 

 

私はとりあえずその一つに横になり、

 

 

 

 

手にした文庫本を読んで時間を潰す事にした。

 

 

 

 

1時間ほど海を眺めたり本を読んだりしていたが、

 

 

 

 

おひとり様のプライベートビーチとは何もする事が無い。

 

 

 

 

海に入って泳ぐわけでもないし、だれかと会話をするわけでもない。

 

 

 

 

折角のリゾート地なんだからリラックスした方がいいのだろうが、

 

 

 

 

もそも無職でリラックスモードの私が癒されるはずが無かった。

 

 

 

 

私はここに来るべきではなかったなと何度も思ったが、

 

 

 

 

実はこのビンタン島に渡った事がこの後に繋がる伏線のようなものであった。